古老のつぶやき
~話五第~
久しぶりに生活の中の歯にまつわる風俗習憤について語る
「其の一」お食い初め
生後百日目を祝ってやる通過儀礼のセレモニーでは膳に小石を添えることになっている。
それは、石でもかじれるような固い歯が生えろとか、石のように固い強い、利ロな頭に育てとかいう祈りを込めたものであった。また祝膳のごはんの一粒を、指でつぶしてなめさせる処もある。
私は子も孫も祝膳に平塚の海辺の小石を拾ってきて添えてやった。
「其の二」鏡開き
正月十一日は武家では具足開きといって、鎧や兜に供えた鏡餅を刃物で切らずに、槌や手で割って食べて祝った。このことから一般の家でも鏡開きの餅はこのようにして砕き、雑煮や汁粉にして食べた。固い餅は体や歯を丈夫にすると言われ、しだいに餅の一部をとっておき、六月一日に「歯固めの餅」といってこれを食べた。
「其の三」歯固め
平安の昔年中行事の一つとして正月の三ヶ日は邪気を払い、延命長寿を祝って屠蘇酒を飲み、「歯固めの膳」を食べた。膳の品々は、齢を固めるという意味で、歯固めといったとされている。
後世鏡餅がこの膳にのるようになった。
そして六月一日に「歯固めの餅」といって食べたのは、六月は正月に次ぐ年のあらたまりと考えて、ひとつの区切りとしたことによるものである。
もともと六月一日は「剥節供」といって、蛇が桑の木の下で脱皮する日とされていて、この日は畑へ入ってはいけないといわれ、いわゆる農休みの日とされ、ゆっくり固い餅を食べる日としたといふことである。
「其の四」乳歯の始末
抜けた乳歯の始末については全国的に同じような習俗が見られた。
すなわち、上歯は縁の下へ。下歯は屋根へ投げるという始末である。これは大切なものを粗末にしないといふ思考から来たものと思われ、死者を葬う精神に似ている。いつまでも体から取れたものを辺りに置いておくことは粗末にするのと同じ事なので、見えない空間に始末するということのような習俗が生まれたものだと思う。
また、投げるときは、感謝と期待を込めていろいろな呪文が唱えられ、多分に地方色が見られる。
唱文を注意してみると、共通しているのは、いずれも成長の早い「ネズミの歯」にあやかりたい思いがこめられていること。富山ではfネズミの歯、生えてくれ」と唱える、京都では、塊の歯に代われ」という、不思議なのは以ズメの歯」と「ウサギの歯」が出てくることだ、愛媛では、「スズメの歯と生え比べ」といい、長野では、歯が抜けると「俺の歯は栄えろ、ウサギの歯は衰えろ」と記録されている。
~今回はこのくらいで~つづく 院長 H.Y |